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歴史・旧跡 <NO,1>
<NO,2> <NO,3>
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| 富沢馬頭観音・・・とみさわばとうかんのん |
富沢の富山馬頭観音は、最上33観音、31番目の札
所であるが、何よりもまず馬を守護してくれる観音様と して知られ、現在でも馬産の地として有名な南部地方 の人々の参詣が多い。
観音堂には夥しいばかりの絵 馬が掲げられているが、このほとんどが馬の成長を祈 願して奉納したものである。境内には、満州事変や太
平洋戦争の時、遠い戦地で無くなった愛馬を弔う碑も 建てられている。わが娘 と同じく心を砕いて育てた馬 が、戦いで倒れたとなれば、このようにして供養してや
るのが、せめてもの農民の慰めであった。 |
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富山観音堂で拝観できる
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とみやまかんのんのえま
富山観音の絵馬
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あばれからじし
荒れ唐獅子
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えぞせんにんじゅつくらべ
蝦夷仙人術くらべ
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けいばず
繋 馬 図
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| 立小路才の神・・・たちこうじさいのがみ |
芭蕉の句碑・・・ばしょうのくひ |
ビックリするような「男根」の像があり、子宝を授かり
たい婦女子が訪れます。 |
柴つけし
馬のもどりや 田植えたる
向町の芭蕉句碑は、昭和30年再建碑。書は天山こと小川信 芳氏のもので、高さ93センチの碑、この句は、芭蕉が元 禄7年(1969)に伊賀上野で詠んだ句で、この町に直
接の関係はないと言われている。 |
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| 草餅地蔵・・・くさもちじぞう |
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本城の鉄道踏切のところに、等身大の石の地蔵様が
立っている。 むかし、飢饉が続いたとき、餓死人回向のために祀ら れたものと伝えられている。この地蔵様のわきに、一尺
ほどの達磨の形をした自然石が祀られている。この地蔵 様は、時々姿をかくして旅に出るそうである。本当は、こ の地蔵様は地蔵ではなくて、山の神であって、村の中に
子供が産まれるときには、必ず地蔵様とともにその家に 行き、生まれ子の道(運命)を決めるのだそうだ。このと き、地蔵様は決まって長命を授けようとするが、山の神
はいつも短命を主張するので、実際の寿命はその中間 に決まるのだという。地蔵様が姿を消すのは、このため であると伝えている。
また、この神様は夜遊びの好きな 神様で、ときどき娘の姿に化けては、方々浮かれて歩く ので。「夜這い地蔵」とも呼ばれている。このためか、縁
結びの地蔵としても知られており、秘かに願いをかける娘も少なくない。 また、この地蔵様は草餅が大好きであるという。村の人々は、草餅をくと、きまってこの地
蔵様に供えることにしているという。「草餅地蔵」と呼ぶのはこのためである。
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| 太郎田観音・・・たろうだかんのん |
若宮には、太郎田観音があり、最上33観音の32番
札所となっている。本尊は11面観音。この観音を管理 する滋雲山明学院は、明治初期までは葉山はの修験 で、その後に天台宗の寺院となった。伝説によると小国
の地は、天平年間(729〜49)頃に開かれたが、この 観音はその開発に携わった伊豆三郎という人の信心仏 (11面観音)をまつったことに始まるという。正観音を浮
き出させた径20センチほどの造の円形懸仏は、一説で は、600年以上前の作と言われる。翁頭部像は高さ7 センチの小さな木彫りで、明学院管理の諏訪神社のご
神体。とぐろを巻く蛇の胴体に、あご髭の翁の頭部が乗 る珍しい彫り物である。 |
| 月楯の弁天様・・・つきだてのべんてんさま |
北の方が難産で苦しんだとき、「月楯の弁天様」に祈願して無事御産をすませることが出来た。
一行がここを通り過ぎる折、義経は弁慶を代参させて、お礼を述べさせたという。 この神社は、月楯字村内にあり、厳島神社とも称し、郷民の厚く信仰しきた神社である。 |
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